
創建: 承和元年834年

富と福を授かる強運の神社
七崎神社 保存「永久(とわ)の会 」公式サイト
NARASAKI SHRINE


【令和4年2月7日(旧暦の正月7日)神事「おこもり」:燃え上がる炎と化し現れた七崎観音様ご神体】
創建834年「七崎山徳楽寺」(七崎神社の旧称)七崎聖観音菩薩本堂(通称:七崎観音堂)は、現在の、七崎神社拝殿の位置にありました。明治の「神仏分離令」を機に、「七崎山徳楽寺」は廃寺となり、安置されていた「七崎観音ご本尊並びに末社12宮」と共に、仏像など全ては、当地の七崎永福寺(現在の普賢院)に移安されています。
明治維新政府による「神仏分離令」が発布される以前、一千年以上も続いた「神仏習合」。七崎神社では、834年「旧暦正月7日」に、南都の四条中納言藤原諸江により同ご本尊が七崎山に遷宮されたことを記念し、現在でも、神事として旧暦の正月7日に「おこもり」を行っています。尚、普賢院では、10日後の旧暦正月17日に御開帳日として、「同お籠り法要)」を行っています。
2022年(令和4年)2月7日(旧暦の正月7日)
七崎神社の「おこもり」の儀式の一つに、1月から12月迄の薪(まき)365本(割り箸程の同じサイズの薪)を、祭壇の前でくべて燃やし、その薪の炎の燃え方により「良い時期について、御祭神にお伺を立てる儀式」があります。
七崎聖観音菩薩ご本尊 を模った炎が高々と燃え上がり、御神体を現したのです!
台風10号により被災した正門大鳥の再建に際して、「事業資金不足」に悩み幹部一同が会している時でした。
これを見た幹部たちは「ご祭神が再建の成功を示唆しご加護を授けてくださった」と、大鳥居の再建事業を決断した経緯があります。
(各月の炎の高さは、平均30cm程度に対して、一気に、80cmほど燃え上がったのです)
結果、被災から6年の歳月を経て、北斗の大杉鉾杉「希望の星大鳥居」へと蘇っています

【七崎観音様】は、「糠部三十三観音の第十五番目の札所」として名高く、多くの参拝客で賑わっていたと伝えられています。「南部藩の崇敬」も厚く、近郷に名高い古刹で、村人の信仰はもちろん、諸仏事・神事が行われ、八太郎浜への「神輿の旅」は、群衆三千余人もの人出で賑わったと記されています。『水神竜神 十和田信仰』(小館衷三)より
ところが、【七崎観音】は、明治の「神仏分離令」により「七崎永福寺」(現在の宝照山 普賢院)に移安されたにもかかわらず、余りにも、多くの巡礼者が元の【七崎観音堂】があった現在の七崎神社へ訪れたため、再度、【七崎観音様(ご本尊)】を、普賢院から七崎神社へ移安した経緯が数度かあったと、普賢院過去帳に記されています。そして、戦後改めて、再び、宝照山普賢院に移安されたとされています。
七崎山徳楽寺当時、慶安2年(1649年)に、観音堂付近への落雷により七崎観音本堂は火災で焼失し(現在も七崎神社拝殿に向かい左側に鎮座する”いちいの樹”の根元には、当時の落雷による傷跡が残っています。=普賢院に残る資料による)、その後、南部藩により、本堂は再興されると同時に、同藩主2代目南部重直公(1655年) と、3代目(1687年)南部重信 公により、それぞれ聖観音菩薩ご本尊の仏像が奉納されています。
普賢院住職によると、これら二つの仏像については、明治から大戦の激動期を背景に諸事情があり、南部藩3代目南部重信 公が奉納した仏像を「七崎観音の御前立ち仏像」としてお披露目し祀っていますが、「本来の七崎観音は2代目藩主重直公奉納の聖観音仏像」としています。現在は、重直公奉納の聖観音を「本七崎観音」、重信公奉納の聖観音を「現七崎観音」と称します。尚、「本七崎観音」は、普段は秘仏として「本尊の扉」は閉じられていますが、普賢院御開帳日(旧暦正月17日(お籠り法要)」には、一般公開がされています。


こうした現象は「七崎神社が大変ご利益がある 古社とされている」由縁でもあります!
お参りいただいた皆様に 、時にはこうして目に見える現象をもって思召しを下さる、御祭神の御神徳に感謝しています。
是非、一度「強運を授け富と福をもたらす」 七崎神社へ、ご参拝にお越し頂けることを願っています。
※当会では「七崎神社復興整備第一期事業」に際してご奉賛頂いた皆様を対象に、「炎と化し現れた御祭神カード」を御礼の返礼品アイテムの一つとして、お配りさせて頂きました。
残りわずかですが、引き続き「ご奉賛をご希望される皆様を対象に」お配りしたいと存じます。
詳しくは「永久の会」:0178-20-9499」迄、お問い合わせください。
『永久の会』は、
過疎化と高齢化を乗り越え、
「広域なご参拝者とご奉賛者の誘致拡大」と
「七崎神社と地域の未来再生」を目指し
【創建1200年記念祭】の幕開けを告げる「杜の奉納祈願祭」を新設し
八戸指定文化財東北最大級のご神木『北斗の大杉・鉾杉』を柱とした
【観光化を推進!】
持続可能な
≪創建1200年奉祝記念!七崎神社復興SDGs≫
プロジェクトに取り組んでいます。
北斗の「大杉」
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北斗の「大杉」
![IMG_0569[1].JPG](https://static.wixstatic.com/media/2df7ca_c3a6957856ea42779881970854d2257e~mv2.jpg/v1/fill/w_170,h_255,al_c,q_80,usm_0.66_1.00_0.01,enc_avif,quality_auto/2df7ca_c3a6957856ea42779881970854d2257e~mv2.jpg)
北斗の「大杉」
![IMG_0652[1].JPG](https://static.wixstatic.com/media/2df7ca_800b030cf26f498fa56db7b3d6f41d8b~mv2.jpg/v1/fill/w_170,h_255,al_c,q_80,usm_0.66_1.00_0.01,enc_avif,quality_auto/2df7ca_800b030cf26f498fa56db7b3d6f41d8b~mv2.jpg)
北斗の九頭龍「鉾杉」
![IMG_0726[1]昇龍鉾杉.jpg](https://static.wixstatic.com/media/2df7ca_da78923e63514e56af30f8b7d0721a49~mv2.jpg/v1/fill/w_170,h_255,al_c,q_80,usm_0.66_1.00_0.01,enc_avif,quality_auto/2df7ca_da78923e63514e56af30f8b7d0721a49~mv2.jpg)
北斗の昇龍「鉾杉」
創建承和元年834年、平安時代に北斗七星(北斗)に 地域の「安泰/安寧と繁栄」を託し、星座を模り「七株の杉のご神木」を植樹したと承伝されます。北極星(北辰)と北斗七星(北斗)は、神仏習合当時の古来から神格化されてきた経緯があり、その背景が伺えます。「七株の杉のご神木」の内、三株が1991年3月に「八戸指定文化財天然記念物」として指定され、現在でも、逞しい生命力でご参拝者に親しまれています。
境内に掲示されている三株の記録は、八戸市文化財として指定された当時の記録で、34年(2025年現在)も経た現在では、「大杉」の推定樹高は43~45m・最大幹回り10m(画像左)と、天を貫くかのように真っ直ぐに伸びた「鉾杉」二株(画像中央と右側)の推定樹高は40~42mと推定されています。
※2022年10月現在、同3株の天然記念物は「青森県の文化財へと申請中」です。
更新EWS
News:2025.4.30
News:2022.10.10
News:2022.9.23
News:2022.7.22
News:2022.7.14
七崎神社プレミアム御守デザイン決定
News:2022.6.26
復興祈願祭デーリー東北新聞社記事紹介
NEWS:2022.6.22
「樹と語り、心を組む!」社寺建設松本工務店の「匠」 たちが、遂に、始動開始!
NEWS: 2022.6.17
「七崎神社復興祈願祭」と合同機記者会見の模様
NEWS:2022.6.6
★CFリターン「七崎姫の伝説」御朱印帳デザイン決定のご案内➡リスをClick!
NEWS:2022.6.03
★デーリー東北新聞社報道記事:七崎神社保存「永久の会」大鳥居再建へCF➡リスをClick!

【燃え上がる炎と化し現れた七崎観音ご神体】
(画像撮影者:「永久の会」青年部会長 嶋森隆恭(2022年2月7日)七崎神社 神事「お籠もり」拝殿祭壇にて。正面には神主がいる為、少し左側から撮影した画像です。ご本尊を左側から想像し見てください

