top of page
富と福を授ける強運の神社
創建:永安初期承和元年834年
七崎神社 保存「永久の会 」公式サイト
見出し h6
鎮守の杜パワースポット!!
一千本のご神木が出迎える
静寂に包まれた異空間 !
地球のマイナスイオンを体感できる
神聖な癒しの杜!
八戸指定文化財・天然記念物
御神木「天空の矛杉(ほこすぎ)」
拝殿の南側に立つ八戸市指定文化財
三本の内の一本
創建834年
南側から観た本殿と拝殿
遥か時を超え、人々の願いと暮らしに寄り添い、一千有余年!
広大無辺なる御神徳をお慕いし先人達が繋いだ御心を、子供達の未来へ!
創建、平安初期承和元年(834年)
霊地や龍穴(リュウケツ)とされた七崎山に鎮座した神々が、
遥か、一千有余年という時を超え、今尚、ひっそりとたたずむ青森で最も古い郷社の一つとされる「七崎神社」です。
七崎神社の社格は「郷社」
南部家初代光行公の草創と伝えられ南部の総鎮守である「櫛引八幡宮」と「七崎神社」の二つが、八戸市では郷社とされています。
櫛引八幡宮の創建は(伝建久年間1190-99年)とされ、七崎神社は834年とされています。
七崎神社の起源は「神仏習合」時代、南都の四条中納言「藤原諸江」が聖観音菩薩御本尊をお迎えし遷宮した承和元年(834年)
七崎神社の旧称「七崎山 徳楽寺」にあります。現在の拝殿の位置には、七崎聖観音菩薩ご本尊を祀る本堂が建立されていました。
南部「糠部三十三観音の第十五番目の札所」通称【七崎観音】として名高く、
多くの参拝客で賑わっていたとされています。
慶安2年(1649年)観音堂付近への落雷により七崎観音堂は焼失した後、1655年に盛岡藩二代藩主南部重直の代と、
貞享4年(1687)三代藩主重信の代に、
新たに「七崎聖観音菩薩ご本尊仏像が奉納」され、七崎観音堂は再興されたとしています。
「七崎山 徳楽寺」の別当寺を務めていたのが、当地の由緒あるお寺「七崎永福寺」(現在の宝照山 普賢院)でした。
「七崎永福寺」は 「南部藩の祈願寺」とされ、当地は、盛岡南部藩代々のゆかりの地でもあります。
また、「ねぶた絵」」に登場し、十和田湖伝説や三湖伝説でも有名な実在した僧侶(そうりょ)
「なんその坊」が修行したお寺としても名高く、数多くの貴重な伝承が残されています。
明治初期までは、熊野三山への修験者たちが集う、一大メッカとして栄えていました。
その証として、平成19年に七崎神社で、約200年前の江戸時代の古文書「補任状(ぶにんじょう)」6枚が発見されています。
明治維新に伴う「神仏判然令」(維新政府の政策)により、明治元年の初め頃までは、七崎山 徳楽寺を称しておりましたが、同年、全て旧例を廃し、仏像を除き、諸神を祭り、伊弉冉命(伊邪那美命(いざなみのみこと)は豊間内村より、天照皇太神は扇田村より、
稷魂神は野沢村より、菅原道真は五戸村より合祀し、四柱を相殿(あいどの)として郷社に列せられ、「七崎山 徳楽寺」から
現在の「七崎神社」に奉称(明治8年5月列格)されています。明治初年の神仏分離令により、
当時の僧守が「当寺は今後神社として伊弉册命を祀り、七崎神社と奉称する」として改めて出発しています。
こうした歴史を物語るかのように、境内には、八戸市指定文化財天然記念物天空の御神木「大杉と矛杉(ほこすぎ)3株」他、
樹高30~40m級の大杉1000本や、モミの樹、ヒノキ、いちいの樹、銀杏などのご神木が整然と立ち並び、
「精霊達が宿る鎮守の杜」として親しまれ、異空間な神域の静けさを保っています。
境内で最も大きいご神木が、本殿上手に鎮座する推定樹高45mの「もみの木」です。
神の木が運気を上げるパワースット七崎神社は、「富と福を授ける強運の神社」として
鎮座した諸神の御神徳をお慕いし、訪れる人々を導いています。
七崎神社は2034年に、大きな節目となる≪創建1200年祭≫を迎えようとしています。
主 祭 神
伊邪那美命(いざなみのみこと)
日本最古の歴史書「古事記」に記された、国産みの物語。 「伊邪那岐命(イザナギノミコト)」と「伊邪那美命(イザナミノミコト)」は、日本最初の夫婦として高天原の神様から誕生し、この夫婦神によって日本の国が生まれました。イザナギとイザナミの夫婦神は日本列島を生み出し、次に、日本の様々な神様を誕生させます。最後に、火の神様「火之迦具土神(ヒノカグツチノカミ)」が生まれた時、イザナミは大やけどをして命を落としてしまいます。夫のイザナギは嘆き悲しみ、イザナミを能義平野の比婆山に葬ったとされています。
相 殿 神(あいどのしん)
大国主大神
天照皇大神
天満大自在天神(菅原道真/天満宮)
※上記の他に、郷社七崎神社誌大正六年三月編集によると「少彦名命/すくなびこなのみこと(日本書紀)」、近江国の新羅明神(大津三井寺新羅善神堂)で元服した「新羅三郎/源義光公」も祀られています。また、「熊野神社」(豊間内)、「天満宮」(岩ノ脇、志戸岸、滝谷)・「蒼前神社」(上七崎)、「八幡宮」(下七崎)、「稲荷神社」(野沢)、「配祀神明宮」(扇田)等は、明治維新政府の神仏分離令発布期に各部落より、明治初期に合祀されたと伝承されます。
摂社御祭神
白山大権現
(はくさんだいごんげん)
青龍大権現
(せいりゅうだいごんげん)
秋葉大権現
(あきはだいごんげん)
未社(境内社)
稲荷社
薬師社
蒼前社
月山社
一王子社
荒神社
※郷社七崎神社誌大正六年三月編集によると、上記の内、月山社及び荒神社は廃合ノ際境内ニ遷シタルモノナリとあります。
創 建
平安初期、承和元年(834年)
祭 事
おこもり:旧暦の正月7日
春の例大祭:5月7日 夏の例大祭:9月7日 新嘗祭:11月23日
鎮座地
青森県八戸市豊崎町上永福寺127−2
東経141度23分1.3秒、北緯40度30分32.6秒に鎮座。
時が止まったかのような静寂さ!
地球の営みを体感できる
神聖な鎮守の杜マイナスイオンスポット!
神が宿ると伝え受け継がれてきた推定樹齢800〜1000年を超える八戸市指定文化財 天然記念物の 御神木「三株(樹高36m,38m,40m)」の他、一千本もの巨樹大杉に囲まれた鎮守の杜境内には、イチイの樹、モミの樹、ヒノキ、銀杏の樹など樹高40m級の御神木が整然と立ち並ぶ神域。【神の木が運気を上げるパワースポット!】。諸神が鎮座し遥か、一千有余年!【精霊たちが宿る鎮守の杜】は、名高い霊地として人々の信仰を集め【福と富を授かる強運の神社】とされ、古来から親しまれています。神の住まう聖域は、地球のマイナスイオンに包まれ、心地良い神聖な癒しの異空間が広がり、今なお静けさを保っています。
推定樹齢1000年
幾度と枝(幅1m)は枯れ落ちても
幹は枯れず1000有余年!
余分を削ぐ決断も御神木の生命力なり!
(樹高:40m強、幹回り9.7m)
八戸市指定文化財 天然記念物3株
推定樹齢800年
目に見える、幹についた枝と
目に見えない、同じ太さの根を大地深く
力強く張りめぐらすは、神木の生命力なり!
推定樹齢800年
「御神が大地にあぐらをかき腰を下ろした姿」
矛の様に真っすぐに天を貫くかのように
伸びる杉を「ほこ杉」と言います!
それを象徴する様に、腰を据え天を仰ぎ
一直線に伸びるスタイリッシュな御神木です
「逞しく生きる希望と
力強い生命力の尊さ」を
今に伝える御神木の象徴「大杉」
めざめに楽しもう、
「精霊たちが宿る鎮守の森」癒しの朝参り‼
清らかな朝に、
神域のパワースポットに歩みを進め巡ってみませんか?
あなたの気運アップにつながります!
創建、西暦834年!
「精霊たちが宿る鎮守の森」七崎山!
七崎神社は、間もなく創建1200年を迎えようとしています!
静寂に包まれた境内に、澄み渡る清らかな空気
そこは、精霊達がやどる心地よい鎮守の森(ちんじゅのもり)
多くの小動物や植物たちが生きずく万物の癒しの楽園
太陽が、御神木「天空の矛杉」(ほこすぎ)を見守るかのように
朝日が矛杉の梢(こずえ)を照らし
木漏れ日が森の草花に降りそそぐころ、
爽やかな目覚めの美しい野鳥の歌が、鎮守の森にこだまします。
そんな「希望の朝」を迎え、私達の穏やかな一日が静かに始ります。
遥か時を超え人々の心に寄り添い一千有余年、広大無辺なる御神徳をお慕いし
「清らかな朝」を迎えると共に、洗われる心
特に、朝には「神の木矛杉が運気を上げるパワースポット」として、
密かなブームの七崎神社です。
八戸市長 熊谷雄一
七崎神社について学ぼう
七崎神社の旧称は、平安初期承和元年(834年)に創建されたと伝えられる「七崎山 徳楽寺」です。「聖観音菩薩」を御本尊とした通称【七崎観音】として広く知られた「糠部三十三観音の第十五番札所」でした。七崎観音は近郷に名高い古刹で、村人の信仰はもちろん「南部藩の崇敬」も厚く、本堂火災後には、1655年に盛岡南部藩二代藩主南部重直の代と、貞享4年(1687)三代藩主重信の代に、新たに聖観音菩薩本尊仏像が奉納され、七崎観音堂は再興されています。諸仏事・神事が行われ八太郎浜への「神輿の旅」は群衆三千余人もの人出で賑わったとされています。江戸時代までは、熊野三山、出羽三山への修験者たちの拠点でもありました。その後、明治の神仏分離令によって、観音堂は現在の普賢院(旧称:七崎永福寺)に移安されると同時に、七崎山徳楽寺は、明治8年5月に現在の七崎神社に列格し、「郷社 七崎神社」と奉称され八戸市では最も古い神社とされています。政財界が訪れる大変ご利益がある神社とされています。
bottom of page