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Marble Surface
精霊たちが宿る「鎮守の杜パワースポット」

平安時代から一千年も息づく杜遺産

一千本の杉木立に覆われた広大な七崎神社の鎮守の杜は、
文化財の「北斗の大杉と鉾杉」や、モミの木・ヒノキ・銀杏の木・イチイの木等の大樹が鎮座
一千年の歴史を誇り、精霊たちが宿る貴重な鎮守の杜パワースポットです
しかし、
創建承和元年834年の七崎神社社伝によると
平安時代から自然に自生し形成された杜ではなく
「明治神宮の杜」同様に、≪時の人の手により二千本の苗木が植えられ人工的に形成された杜≫とされています!
​●明治神宮の杜:
  大正9年11月1日に、明治天皇と昭憲皇太后が鎮座し創建された、初詣で参拝者が日本一の明治神宮。その神宮の静寂を保つ豊かな杜(もり)は、森林の専門家が集い、大正4年に、日本全国から「10万本の各種樹木を奉納」頂き、そして、全国から集まった「11万人のボランティア達の手」により植えられ、人工的に、形成された杜(もり)とされています。

  東京の神宮の地で「100年という歳月」を経た今では、大都会にある人工の杜とは思えない程、小動物たちが生きずく本来の自然豊かな原生林の杜の営みを形成し、神域の静けさと趣(おもむき)を醸し出しています。




●七崎神社の杜:
  2034年に、≪創建1200年奉祝大祭≫を迎える、青森県でも「古い郷社の一つ」とされる古社とされています。
創建は、平安時代
承和元年(834年)。七崎神社の旧称は、南都の四条中納言藤原諸江が【七崎聖観音菩薩ご本尊】を遷宮した、七崎山「徳楽寺」と称す「糠部三十三観音の第十五番目の札所」として、広く知られていました。 近郷に名高い古刹で、村人の信仰はもちろん「南部藩の崇敬」は最も厚く、諸仏事・神事が行われ、八太郎浜への「神輿の旅/(御浜入り)
」は、群衆三千余人もの人出で賑わったと記されています。『七崎観音本堂」は、現在の七崎神社拝殿の位置に建立されていました。


 1649年本堂付近への落雷による本堂火災消失後には、南部藩二代目藩主「南部重直」及び三代目藩主「南部重信公」により、新たに「七崎聖観音菩薩ご本尊仏像」がそれぞれ奉納され、消失した本堂は再建されています。




 ◆2022年2月7日七崎神社の神事「おこもり」の際に
、観測史上初めて、直接東北に上陸した巨大台風10号(令和元年2016年8月30日岩手県大船渡市付近に上陸)により、「めおと杉(株立の幹幅4m)」の一方が倒壊し正門大鳥居の笠木などを直撃し、大鳥居ともに被災。大鳥居再建事業に拝殿に会した役員一同の前に、大変ご利益がある秘仏とされる「七崎観音ご本尊のご神体」が、「燃え上る炎と化し、ご本尊仏像を形取ったご神体を表わし大鳥居再建の成功を示唆」下さっています。結果、無事、再建事業は成功しています










 こうした経緯から、再建後の正門大鳥居の名称は、大鳥居の上手そばに鎮座する「北斗の大杉」の由来にちなみ→(平安時代に≪安寧≫を願い「北斗七星」を形どり植えたとされる”神が宿るご神木”)、ご参拝者の≪安寧≫を願いご参拝者を歓迎してお迎えし、ご加護をもって送り出す意を込めて、「希望の星大鳥居」と奉称されています。日本三大美林「青森ヒバ」を起用し、日本を代表する名工「清水福治」の力作で、木造では「東北最大の青森ヒバ両部鳥居」として再建され、全国の参拝客に大変親しまれています。





 
​ ◆正門「希望の星大鳥居」の傍上手に鎮座するのが、八戸市指定文化財 北斗の
「大杉一千年」です。そして、神域の、拝殿手前上手奥(御神輿殿後方)に鎮座するのが北斗の九頭龍「鉾杉」とれ、拝殿下手に鎮座するのが北斗の昇龍「鉾杉」です。(矛/鉾の様に天を貫くかのように真っ直ぐに伸びた杉を、特に鉾杉と称します)この三株が1991年3月に八戸市指定文化財天然記念物に指定されています。

 鎮守の杜の静けさを保つ天然記念物の三株は、前述の通り、「明治神宮の杜」同様に、自然に生息していた杉ではなく、「平安時代に、北斗七星に≪地域の安泰/
安寧≫を託し”時の人達の手”により星座を形どり七株が植えられた!」と伝承されます。その内の三株が強運な生命力で生き残ったとされます。また、そのとき同時に、杉・モミの木・銀杏の木・いちいの木など「2000本もの苗木が植えられた」と伝承されます。

 七崎神社鎮守の杜は、文化財大杉・鉾杉の他に、35m級の一千本の杉木立が整然と広大に広がり、本殿上手の「モミの大樹」が文化財より最も高い推定樹高45m強、「ヒノキの巨木」「不滅のイチイの樹」などの御神木が鎮座し、平安時代から息づく杜は精霊たちが宿る特別な異空間を醸し出しています。地球の自然なマイナスイオンを五感で体感できる、貴重な「鎮守の杜パワースポット」として参拝者に親しまれています


「北斗の大杉」は、遥か、1千年を超える歳月の中で、驚異的な地震や台風などの災害、自然界の過酷な試練を乗り越えて来た「神が宿る大樹」として、訪れる参拝者たちに≪生きる希望と力強い生命力の尊さ≫を伝へています。その長寿で逞しい強運にあやかろうと、天を仰ぎ幹に触れ、手を合わせる参拝客が絶えません。強運な運気を授かる開運祈願・末長い夫婦円満や長寿祈願の御利益があると、古来から語り継がれています

≪平安時代に形成された一千年の歴史を誇る鎮守の杜パワースポット≫は、年数で言えば、「明治神宮の杜」の十倍の歴史が息づく杜です。【七崎神社】は、関東・中部・近畿地方からの参拝者もお越しになるなど、”富と福を授かる強運の神社として、全国からご参拝者が訪れる、大変御利益がある古社とされています。
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平安が息づく一千年の杜遺産
​精霊たちが宿る鎮守の杜パワースポット

北斗「大 杉」

承和元年834年創建七崎神社の社伝によると平安時代に地域の安泰(安寧)を北斗七星に託し、星座を形どり七株の杉を植えたと承伝。その内の≪三株≫が八戸市指定文化財として現存します(北斗の「大杉」・北斗の九頭龍根「鉾杉」・昇龍「鉾杉」)

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まるで、時が止まったかのような、静寂​さ!
シンシンと降る雪の音さえ聞こえる
精霊たちが宿る鎮守の杜パワースポット!

​(画像:厳冬の神門)

「一千年の歴史が息づく、精霊たちが宿る鎮守の杜」
静寂に包まれた境内、澄み渡る清らかな空気
そこは、精霊達がやどる心地よい、一千年の歴史が薫(かおる)鎮守の杜
小動物や植物たちが生きずく、万物の癒しの楽園
太陽が、​御神木「北斗の大杉と矛杉」を見守るかのように

朝日が梢を照らし、森の草花に木漏れ日が降りそそぐころ、
爽やかな目覚めの美しい野鳥の歌が、杜にこだまします。
そんな「希望の朝」を迎え、穏やかな、豊崎町の一日が始ります。


遥か時を超え、人々の心に寄り添い一千有余年、​広大無辺なる御神徳をお慕いし
​先人達が繋いだ御心を、子供たちの未来へ!


「清らかな朝」に、洗われる心
そんな朝、神域の杜に、足を踏み入れてみませんか?
地球の鼓動さえ聞こえてくるような静寂さに
五感でマイナスイオンを体感し
知らなかった自分を見つけた、朝!
より、清々しい、新たな一日が始まります
朝参りは、貴方の運気アップへつながります。
永久の会」創設者・顧問:中村石治
鎮守の森誕生の歴史!
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「北斗の大杉」​

樹齢一千年を超える強運な生命力で
≪生きる尊さ≫を今に伝える
神が宿ると伝承される大樹

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平安時代に地域の安寧を北斗七星に託し星座を形どり7株の杉を植えたとされます。そのうちの三株が八戸市文化財として現存します。

「北斗の大杉」​

八戸市指定文化財・​天然記念物

天を仰ぎ幹に触れ手を合わせ
強運な生命力にあやかろうと開運や
長寿祈願する参拝客で賑わっています

矛杉「ご参拝方法」
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北斗の九頭龍「鉾杉」​


伝説の七崎姫ゆかりの
御神輿殿後方に鎮座

御利益がある
龍が宿り根を這う

九頭龍鉾杉
山脈
めざめに楽しもう、
「精霊たちが宿る鎮守の杜」朝参り‼
清らかな朝に、
神域のパワースポット​に歩みを進め
巡ってみませんか?
​あなたの運気アップにつながります!

強運を授かる御神木の​参拝作法

「二拝二拍手一拝」

①まず、ご神木の前で姿勢を正します。
​②次に、2回お辞儀をします。
​③胸の前で両手を合わせ、二回拍手を打ちます。
​➃一歩前進し、
運気を授かるようご祈念ください。
​➄結びに、一歩下がり御神木を見上げた後
1回深いお辞儀をします。
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北斗の昇龍「鉾杉」

鉾の様に天を貫くように真っ直ぐに伸びる縁起の良い昇龍鉾杉
紙が透明リッピング
「矛杉」植樹の秘話

八戸市指定文化財 天然記念物
「北斗の大杉と鉾杉」

語り継がれる二説の起源と秘話
樹齢一千年を超え、強運な生命力で「生きる尊さ」を今に伝える御神木

※文化財天然記念物掲示板に表示されている樹齢・樹高・幹幅は文化財指定1991年(平成3年)当時の記録です。30年以上経た現在は、更に、成長を続け樹高幹回り共大幅に更新しています。再測定を申請中です。

紙が透明リッピング
七崎神社による定説:

 平安初期、南都の四条中納言藤原諸江が勅勘のため流刑を受け漂泊の身となり、現在の白金に上陸したと伝えられています。浜づたいに八太郎まで至り、そこで漁夫として暮らしていたある日、介鱗(魚貝類)を漁獲しようとした網に、「異相な霊体」がかかったとされています。それが正に、「七崎聖観音菩薩ご本尊の起源」とされています。そこで、藤原諸江は
白金清水川上段(現在の白金清水観音の地)に、一小社を建立して、天長元年4月7日(西暦824年 )に、安置奉斎(ほうさい=神仏などを身を清めて慎ん祀る事)したとされています。

 しかし、その後、藤原諸江の霊夢により、七崎山に観音堂を建立し、承和元年(834)正月7日に、聖観音菩薩を七崎永福寺(現在の普賢院)まで諸江卿が供奉(ぐぶ=行幸や祭礼などの時にお供の行列に加わること。)して、七崎山に聖観音菩薩御本尊としてお迎えし、遷宮(せんぐう=神体を従前とは異なる本殿に移すこと)したその記念として、杉の木を7本植えた(9本ともされている)と伝承されています。その杉が、現在も境内に3本残っており、1991年(平成3年3月)に八戸市指定文化財天然記念物に指定されたとしています。
もう一つの普賢院による説:
創建834年​当初から、七崎山徳楽寺観音堂の別当寺であった、七崎永福寺(現在の宝照山「普賢院」)によると、七崎永福寺を「開基」あるいは「中興」したとする僧「行海」上人が植えたとしています。承安年間(1171~1175)僧行海が、諸国を巡歴し、この地で密教を布教します。そのとき、行海上人は「各地を巡ったがこれほどの霊地はない」といって、境内に、七曜星(北斗七星=仏教では平安を意味する星)をかたどって、七本の杉を植えたとしています。その内の三本が今なお大地深く根をおろし「神の杉」と村人に呼ばれてきたとしています。

神仏分離令が発布される明治以前には、現在のご神木「矛杉」の所に「行海和尚お手植えの杉」という木札があったとしています(普賢院に[写真あり]としています)。また、当時、2000本の杉の苗と、その他、多種多様な苗木を植えたとの伝承が残されているとしています。


※「永久の会」の見解:
上記の二説から、大杉と矛杉の樹齢を算出すると、七崎神社史説では樹齢1,188年(2022年現在)となり、また、普賢院史説では、承安年間(1171~1175)に「僧行海」が諸国を巡歴しこの地で密教を布教した際に植えたとすると、樹齢851年(2022年現在)となります。また、同じ時期に植樹された杉であり、生育の違いはあれ3本それぞれ大杉と鉾杉の樹齢は、幹幅は違えど同一の樹齢となります。八戸市指定文化財天然記念物の掲示板に掲載された推定樹齢に誤差があるのは、疑念が生じます。

  いずれにせよ、古来から、訪れる参拝客に「逞しく生きる希望と、力強い生命力の尊さ」を伝えてきた御神木であることには、何ら、変わりはありません。明治維新政府による神仏分離令発布は、神と仏を分離し祀ることであり、現在の私たちには、想像できない程の混乱が生じ、強硬に施行された背景が社史から伺えます。それを証拠に、明治初期に「神道的な七崎神社所蔵品(兜など)」についても、政府により没収され、それぞれ地域の博物館に所蔵されています。尚、「七崎観音」は、明治初期に七崎山「徳楽寺」から「七崎永福寺」(現在の宝照山 普賢院)へ移安されています。しかし、その後も大勢の参拝者が幾度と元の大杉がある七崎山に訪れたため、また、『七崎観音」を再度七崎山に移安し、これを数度繰り返したと承伝されてます。





 
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北斗の「大杉」​

幾度と枝(幅1m)は枯れ落ちても
幹は、一切枯れず一千有余年!
​余分を削ぐ決断も御神木の生命力なり!
(​樹高:40数m、幹回り9.7m)

※30年前の測定値
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三株の​八戸市指定文化財 天然記念物

北斗の九頭龍「鉾杉」​

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​画   像:八戸市指定文化財天然記念物 七崎神社 三株のご神木
​撮影日:2021年7月5日(午前10時)
撮影者:エグゼクティヴ プロデューサー Jason  I.  Nakamura
​幹についた太い枝
御利益がある九頭龍が宿り、根を這い、
巨根を大地深く張りめぐらす鉾杉!
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北斗の昇龍「鉾杉」

​「御祭神が大地に腰を下ろし胡坐(あぐら)をかいた姿」鉾の様に真っすぐに天を貫くかの様に
伸びる杉を「ほこ杉」と称します!
腰を据え、天を仰ぎ一直線に伸びる
縁起の良い、昇龍が宿る鉾杉
天然記念物画像と解説
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​北斗の「大杉」

​ご参拝者を称え
安泰を見守る大樹
推定樹齢一千年【北斗の大杉】に起きた「昭和の花火火災事故」
昔から、大杉の幹の穴に賽銭を投げ込む風習がありました。(1m程の縦長の穴で地上5mの高さに位置)その穴に、子供たちが遊ぶ花火が入り、空洞の根元内部の幹に引火、炎と煙が舞い上がる大火災に!

根元の内部は上部に向って一部空洞になっており20m程の上層部の枝からも、煙が漏れ立ち上った程でした。境内は、ご神木の火災を見守る人々でごった返していました。消防車が出動し、夜通し御神木を見守り消火に当たった結果、なんとか、無事に消化に成功したものの、内部は黒焦げに燃えたのです。

東北でも最大級の大杉「昭和の花火火災事故」​…あれから、数十年!
今尚、何事も無かったかの様に、雄々しく天を仰ぎ、毅然と立ち続け、成長を続けています。樹高40数m推定樹齢1000年(1991年3月の記録)という気の遠くなるような長い歳月の中では、こうした火災事故の他にも、驚異的な地震や台風など幾多の災害を乗り越えて来た、力強い生命力と生きる尊さを今に伝える強運を備えた御神木です。古来から「神が宿る大樹」と呼ばれ
「​神の木が運気を上げるパワースポット」とされる由縁と言えます。

「人々の願いと暮らしに寄り添い一千有余年もの御心は、広大無辺(無限大)なる偉大さを、私達に伝えているかのようです」。御神木に歩み寄り、手を添え、根元から幹を仰いで運気を授るようお祈りしましょう。
参拝者に寄り添う神恩に感謝し、その崇敬の心は一千有余年という時代を経ても、何一つ変わるものではないと痛感させられます。
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​北斗の「大杉」
​枯れ落ちた枝穴

​子供たちが遊ぶ花火が侵入
ご神木幹内部火災へ発展!

矛杉昭和の花火火災事故
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​慶安2年(1649年)七崎観音堂付近への落雷により、
初期の七崎観音堂は消失!ところが、当時の火災にも耐え
今尚、生き続ける不滅の生命力「不動のイチイの樹」

「不動のイチイの樹」

​ 慶安2年(1649年)の落雷の影響により、七崎山徳楽寺観音堂火災にも関わらず、今も尚、生き続ける一本の「いちいの樹」が、本殿に向かって手前左側に鎮座します。

 根本付近の幹には、引火による火傷跡が痛々しく残るも、今尚、逞しく生き続ける生命力に、人々は感銘します。生きたい!という意志の基に、願う希望、戦う勇気「不滅の生命力」を授かる「不動のイチイの樹」として、崇められています


 慶安2年(1649年)当時の落雷の影響により、現在の七崎神社拝殿の位置にあった「七崎山徳楽寺 七崎聖観音菩薩本堂」は消失し、以後、七崎観音堂は末社12宮と共に、再興されています。南部藩二代目藩主南部重直公(1655年)→(本七崎観音)及び南部藩三代目藩主南部重信公(1687)→(現七崎観音)が、それぞれ七崎聖観音菩薩本尊仏像を奉納し、再興したとされています。
 御神木「不動のいちいの樹」の樹齢は未定です。しかし、火災当時に細い木であったとすれば、幹は既に消失していたと推測できることから、火災当時から太い「イチイの樹」であったと推測されています。幹の中心部まで火傷を負い、一部空洞になっています。(もともと根元から二本の樹が合体した株立ちの樹であったとする伝えもあります。根本の間をくぐるとご利益があるとも伝えられています)372年前の火災による傷口は、372年もの歳月を費やし自力で傷口を閉じようとするも、未だ、完全には閉じていません。それでも毎年、枝は伸び続けています。年齢不詳の「イチイの樹」ですが「精霊が宿る御神木」として、崇められています。

 
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「イチイの樹」に関するマメ知識

 北海道などの北の地方ではサカキやヒサカキなどがないため、神前の玉串にもイチイの木が使われています。日本では、イチイの木は、北の地方でよく見られる常用針葉樹(一年中緑の葉をつける針葉樹)です。 生長すると、10~20m程の高さになります。 葉の形は、カヤやメタセコイアの葉を小型にしたような形ですが、葉は柔らかです。 北海道や東北北部などの寒冷地では、アイヌ語の「オンコ」という名で呼ばれ親しまれています。

また、北の地方の和風庭園の生垣や植え込みの定番となっているのがこのイチイの木です。イチイの木は雌雄異株となっており、雌の木になる赤い果実の果肉は甘いので、食用や果実主要として使われています。一方で、種はアルカロイドを含む有毒となっているので、食してはいけません
「不動のイチイの樹」
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​拝殿の手前左側に鎮座する
ご神木「ヒノキの大樹」
「本殿と拝殿」を囲む様に
整然と立ち並ぶ多彩な御神木が皆様をお出迎えします!

 苔(コケ)が生えた風情ある歴史を感じる石畳みの階段を進むと、七崎神社「本殿と拝殿」が位置する上層部の神域につきます。天然記念物鉾杉」の他に、「不動のイチイの樹」や「モミの樹」、そして「ヒノキ」などの御神木が鎮座し、参拝に訪れた皆様をお出迎えします。

​拝殿手前下手に鎮座する巨樹
御神木「ヒノキの大樹」

 参拝を終え振り返ると、やっと気ずくのが、木肌が最も美しく香り高い巨樹「御神木ヒノキ」です。太古から最高品質の建築用材とされ、神社や仏閣を建築するために使われてきた建材として珍重されるヒノキです。数ある中でも、これほど雄々しさを備えたヒノキは、めったにお目にかかれません。

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​拝殿の手前左側に鎮座する
ご神木「ヒノキの大樹」
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​本殿上手(右側/北側)に鎮座する
御神木「モミの大樹」推定樹高45m
​根元幅は幹の太さの三倍あります
​本殿上手(北側)に鎮座する巨樹
御神木「モミの大樹」

​ 七崎山の杉木立は殆どが35m以上で、国道454号線の遠くからでも見ることが出来ます。

 その杉木立の中に、天然記念物の「大杉と鉾杉」よりひときわ高く、更に、10m程上層に際立つ巨樹が見えます。それが、本殿上手/神社北側に鎮座する「モミの大樹」です。

「本殿」の位置は、正門大鳥居から約100m程の上層部にあり、なだらかな傾斜地となっています。傾斜値を加味し推定樹高を推測すると、御神木「モミの樹」の樹高は、傍にある2番目に高い矛杉樹高38mよりも10m程高くそびえて見えます。同矛杉からの傾斜は、5m前後です。正門大鳥居付近に鎮座する推定樹齢1000年の天然記念物「大杉」樹高40mを超え、モミの樹の推定樹高は、45m強と推測します。よって、七崎神社の御神木では、最も高い大樹となります。(現在でも目に見えるように毎年数m成長を続けています)

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​本殿上手(右側/北側)に鎮座する
御神木「モミの大樹」
秋の屋形船
青森県で最も古い”旧郷社の一つ”とされる「郷社 七崎神社」(ナラサキジンジャ)。その起源は七崎山「徳楽寺」と称し、名高い古刹で人々の信仰や「南部藩の崇敬」も厚く大変ご利益がある「七崎聖観音菩薩御本尊」(通称:七崎観音)を遷宮した本堂が、現在の拝殿の位置に建っていました。
澄み渡る満点の星空に、一段と輝く平和の象徴「北斗七星」。地域の安泰と繁栄を託し、「北斗七星」を形どり7本の杉を植樹したと承伝されます。
八戸市文化財天然記念物「大杉一千年」と「鉾杉」2株の三本が、今でも、鎮守の杜の静けさを保つパワースポッとして親しまれています。
七崎神社保存【永久の会】事務局
青森県八戸市豊崎町上永福寺40 〒039-1109
七崎神社所在地:​青森県八戸市豊崎町上永福寺127−2
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